自分が自分でなくなっていることに気付く時分

コンプラ機関と話していて、うつ病について体調の心配をいただいた

 

夜眠れなくて…ということを何でもないことのように返したが、

 

慣れというのは怖いものだ

 

私は夜、上手く眠れないし

他人に、自分の趣味に興味を失ったし

人混みにいることが怖いし、職場では具合が悪くなるし

1人でいると死ぬことと復讐のことだけ考えている

 

大丈夫な訳ないのに

 

朝考えていた気持ちは消えてしまった

夢見ていたあの人はもう存在しないのだ

 

私は刃物をしっかり握りしめて、

もう逆手に持ち直すことはない

 

何もかも終わってしまった

痕に何が残るんだろう

 

 

 

私には、話を聞いてくれる人達がいる

 

私に共感してくれる人だけではなく、

三者の適正な意見をくれる人もいる

 

恵まれていると思う

 

例えば、家にゴキブリが出てきた、として

 

見失ったらどうするだろう?

 

ある人は「もう家から出て行っているよ」と楽観的になり

 

ある人は「多分まだ部屋にいるだろうけど、その内出てくるから気にしないでいいよ」と警戒を解く

 

私は勿論、「絶対まだ部屋にいるから、探し出してxxしてやる」だ

 

白紙に墨を1点垂らすのと同様に、気になってしょうがないことは気を晴らしたい

 

私は今「君は勝手にうつ病になったんだよ」と言われている

 

じゃあ白紙に墨を垂らさないでくれ

 

部屋にゴキブリを放たないでくれ

 

遠因だろうと関わった人間が1から10までシラを切ることの悪質さを一般倫理の観点から評したいのだけど、だめかな?

 

でなければやっぱり、正面から戦ってくれ

 

私はいつでも、そうする準備があるのに